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隆 ――焦燥――:しろくま

 俊作はテレビリモコンを手に取ると、向かいに座っている隆の左頬をそれで激しく打った。
 隆は俊作の目を見た。そうだ、あなたはいつも親の尊厳が傷付けられた時に手を上げる。隆は幼稚園児の時と中学生の時にも打たれたことを思い出した。
 隆は年明けに修士論文を提出し、そのまま博士課程を受験した。六年間通ってきた大学なので緊張は無かった。試験官も今まで何度と顔を見てきた先生達だった。ただその中に今までその人のところで勉強してきた自分の指導教員の姿は無かった。後日結果が届く前に先生の研究室に呼び出されると不合格だと伝えられた。
 先生には研究生になることを勧められた。研究生とは費用を払うことで院生と同じように研究室や大学の設備を利用できる制度だった。そして来年また挑戦しなさいと言われた。
 隆も先生も悔しかった。落ちた理由は院生としての自覚が足りないと判断されたのだと教えられた。
「指導学生が落ちるのはその教師の責任だ」と先生は言った。隆が他の大学院を考えなかったのはこの先生以外に自分は理解されないという想いからだった。「二十七歳で博士課程を修了」は自分の道ではなかったのだと知った。人生初めての浪人だった。
 自分はどの道に進むべきだろう。一年間足踏みをするこの道草で、進級も無く一つ歳を重ねてしまう。今年で二十五になる。二十五という歳の、今の自分のあり様に負い目も感じる。どういった言葉ならうまく表現できるだろう。宙ぶらりん、溝に落ちた、甲斐性無し、アルバイトもしていないからニートだろうか。
 修士を一緒に卒業した元学校教師の人達は教師の仕事に戻っていった。留学生達は国に帰っていった。年の初めに付き合っていたSとも別れた。学部を卒業した時と同じだ。また一人ここに残ってしまった。
 ただ研究生になって初めて分かることもあった。研究室で本を読み、ノートを取って研究するという日々は、想像した博士課程のものと変わりが無かった。この研究生の間に足りなかった研究の掘り下げをし、来年もう一度受験して博士課程に入る。隆は「二十八歳で博士課程を修了」を目指すことにした。この道が一番現実的に思えた。
 そんな中で隆は一つの求人を見つけた。履歴書を送り、夏に東京で面接を受けた。そして秋口の頃に合否を通知する採用通知書が届いた。
 
 若手日本語教師インドネシア派遣 採用
 
 隆は先生の研究室を訪ねると採用通知書を見せた。
「親には見せたのかい」
「母さんには見せたけど父さんにはまだ話してない」
「そうか」
 通知が届いて三日が経った。受諾するかどうか返事を出す期限も迫っていた。面接の時に希望を訊かれた派遣先はインドネシアの他にマレーシア、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランド等があった。
 オーストラリアやニュージーランドはこれからの人生、旅行で行く機会がありそうだ。何より学部生だった頃の同じ学科の人達が何人か留学していた。どうせ行くのなら知り合いの誰もが行ったことの無い所がいい。
 インドネシアは隆にとって未知の国だった。戦後にできた新しい多民族国家。政府自体がいくつ島があるのか完全に把握できていない。また隆はインドネシア語を知らない。そして世界で一番多くの言語を持っている国。法律で決めるまでもなく日本語を公用語としている日本とは違う。「言葉が違う」というのが日本では年代や方言のことを指すのに対してインドネシアでは「言葉」の意味が違う。
 不安が膨らめば目に入るすべてに懐かしさのような優しさ、暖かさを感じる。自分のことをよく知っている人達が居る。地元に包まれている。新幹線でどこまで行っても日本に包まれている。幕末の、脱藩浪士の心境とはどんなものだったのだろう。能天気な風雲児だったのだろうか。地元や国というものよりももっと大きな何かに包まれていると考えていたのだろうか。自分も地球に包まれていると感じられるようになるのだろうか。
 迷ったときは勇気の要るほうを選びたかった。男児だ。後悔をしたくなかった。高校の時に隆はアガリ症で不登校になりかけた。その時に逃げるのは男じゃないだろうと言ったのが父親の俊作だった。
 居間で隆と俊作は低いテーブルを挟んで座っていた。テレビは俊作が録画した大河ドラマを流していた。母親のさなえは台所で食器を洗っていた。
 テレビが終わると隆は口を開いた。
「一年間海外で日本語教師をしてきたいと思ってる」
「それはインドネシアに行くという話のことか」
 俊作はさなえからすでに話を聞いていた。
「うん」
「大学院はどうするんだ」
「来年の二月の入試は派遣期間中で受けられないから再来年のを受けようと思う」
「だいたいお前はインドネシア語が話せるのか。向こうの学生だってインドネシア語を話せる先生のほうがいいだろう」
「日本語だけで日本語を教えることだってできる。それを直接法と言うんだ」
「インドネシア語を話せないお前より向いている人が居るはずだ」
「大学に居る英語のネイティブの非常勤講師だって日本語を話せない人が大半だよ」
「インドネシア語を話せなくていいというのはお前の甘えだろう」
「誰だって俺の履歴書を見ればろくに外国語が話せないことくらい分かるよ。それでも俺は採用されたんだ」
「だいたいお前は日本語を教えられるのか。俺にはどうもそれが信じられない。この派遣に行くというのは大学院を落ちたお前の逃げじゃないのか」
「俺は文法論を専門としているんだ。そこらへんの日本人や日本語教師より日本語を知っているという自負とプライドだってある。この前の博士の入試は落ちたよ。でもこの派遣は勝ち取ったんだ。父さんは知らないだろうけど国絡みの大きな派遣事業なんだ。俺はそれに採用されたんだ。俺が国に必要とされてるってことなんだ。疑ってばかりかよ。少しは俺を認めろよ!」
「お前は親に向かってどういう態度で言ってるんだ!」
 俊作の目が見開いた。テレビリモコンを手に取ると隆の頬を打った。台所で見ていたさなえが駆け寄った。隆は俊作の目を見た。
「なんだその目は、親を何だと思ってる!」
 今度は平手打ちが隆の左頬で音を上げた。
「やめてください」
 俊作がもう一度手を上げようとした時、さなえが止めに入った。
「見ろ、こいつは犯罪者の目をしている! 人を騙そうとする目だ」
「犯罪者の目なんかしていません。あなたの子です。この子だって自分の将来のことをしっかり考えています」
「いいや、こいつはいつも行き当たりばったりだ。逃げるために色々理由を付けようとする奴だ。こいつは親の俺のことを『何も知らない奴だ、哀れな奴だ』と言う目で見てやがる。もう一度大学院に挑戦すると言うから落ちても認めてやっていたのに、そんな訳の分からないのに行くぐらいならさっさと働け! おい、その目をやめろと言ってるんだ!」
 隆は俊作の目から視線を外した。座り直し、もう一度俊作の顔を見た。
「働いていないことの惨めさは俺が一番感じているよ。大学を出てから一つの会社で働き続けている父さんを俺は尊敬してる。でもこの海外派遣は俺にとって将来必要になる経験だと思うんだ。だから行くことが逃げだとは思わない。今ここでこの道を諦めてしまうことが逃げだと思う。昔アガリ症になって高校に行けなくなった俺に、逃げるのは男じゃないと言ったのは父さんじゃないか」
「何が尊敬しているだ……!」
 居間に幾らかの沈黙が流れた。
「……勝手にしろ」
 俊作はそう言うと風呂場へ向かった。
 隆はそのまましばらく座っていた。さなえが氷を包んだタオルを持ってきて隆の頬を押さえ「よく頑張ったね」と言った。隆はそれを振り払うと自分の部屋に戻り扉を閉めた。
(これしかない。これしかない)
 隆は鞄から採用通知書を取り出すともう一度読み返した。読み終えると机の引き出しに仕舞って鍵を閉めた。鍵は誰にも見つからない所に隠しておいた。