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「本なんて読めねえよ」イコ

1.正直に言いなよ。

 懺悔します。読んだ小説や評論の数よりも、読んだ漫画の数の方が圧倒的に多いです。小説がなければ死ぬるなんて偉そうに言いますけれども、たぶん死にません。まあそんなことがあり得る状況というのは、大地震や津波のような、生存欲求を脅かされるような場合くらいなんでしょうけど、その場合、小説がないから死ぬわけじゃなくて、ただ災害に遭って死ぬんだと思います。

 

2.正直に言いなよ。

 昼間にたっぷり仕事して、疲れて家に帰ってきます。すると手を伸ばすのは小説ではありません。ご飯を食べながら、PCを開いて、人の作品でも自分の作品でもなく、ニコニコ動画のデイリーランキングをチェックします。「おっ、あの実況者さんの新作だ!」ゲームの実況プレイ動画です。30分強の尺のある動画を、メシを食いながら楽しく見ます。「あっ、パート2がある」見終わるとすぐに、その続きの動画をチェックします。ご飯は当然食べ終わっています。本を開くための両手は空いています。でも本を開きません。近くに置いてあるサリンジャーも、吉村昭も、バルガス・リョサも、絨毯の上に散らばって無表情でじっとしているだけです。からだは徐々に重力に負けます。ぐったりと絨毯の上に倒れて、目だけは実況プレイ動画を追い続けます。「はっぁは、うひっ」とひとりで笑います。道を通り過ぎる人は、誰も小説を書く者の笑い声とは思わないでしょう。

 

3.正直に言いなよ。

 フンショクします。twittermixiskypeではわりと本を読んでいるかのように語ります。でも実は、あんまり読んでいません。作家の名前や代表作だけはどこかで聞き知っていることが多いので、誰それが作家の名前をあげると、読んだことのない本の名前をあげてリプライします。相手は読んでいるかのように思ってくれる、あるいは無学に気がつきながらも優しく返してくれます。実は読んでいません。読んでいたとしても、記憶というのは頼りないもので、すっかりその小説の内容を忘れていることもしばしばあり、適当に印象で話します。

 

4.正直に言いなよ。

 本を読むのは苦痛です。ちっともページが進まないのにいらいらします。わざわざ読みにくい文章を書かれると、むかつきます。ネットを開いて、表示された時間で必ず終わる動画を見ている方が楽です。別にそれを理解する必要もなく、ただ実況者さんが用意してくれた笑いどころをみんなといっしょに笑っていればいいんです。疲れてると余計そっちの方が助かります。本を開くといつも眠くなります。ベッドで横になって読むと一分もかかりません。

 小説を読むというのはなんて孤独な作業なんでしょう。いわゆる「純文学」というやつは、こっちが歩み寄らなければ、きちんと読むことのできないものばかりです。いや、きちんと読めたためしなどあるのでしょうか? 読めた気になっているんだと思います。

 

5.正直に言いなよ。

 でも最後にカッコつけさせてください。どうやら「文学の病」にかかっていることだけはたしかなんです。どんだけ漫画読んでも、どんだけ動画見ても、ある種の物足りなさが残ります。その物足りなさを埋めるのが文学です。積んでいる本の上から次々に本を積む、減ることがなく、なんとなく賢そうな本棚が出来上がっていくわけですが、ここまでこうして言ってきても、なお、その本棚を自慢に思います。たとえ一生かかって読みきれなくても、そこに物足りなくないだろうってモノがたくさん置いてあることに、言い知れぬ快感を覚えるのです。

 むかつきながら、眠たくなりながら、まるで隷従しているような、鞭で打たれ続けているような心持ちで本を読みます。長い小説など苦行以外の何ものでもありません。はっきり言って、漫画より、動画よりも長い間それを受け入れていられるほど、我慢強くはありません。そんなもんで、小説家になろう、ってんだからちゃんちゃらおかしいですよね。でもまあこのエッセイを書くことは逃げているようで逃げ道を断つ行為ですから、勘弁してください。あ、ぜんぜんカッコついてないですね。まあいいです。